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关于中日筷子禁忌的对比研究(3)

时间:2023-06-15 21:39来源:日语论文
箸を統一的に「箸」と称したのは唐からであった。その後宋、元、明清はずっと、特に政府の文書の典籍にそのまま用いられた。『康熙字典』[7]にはた

箸を統一的に「箸」と称したのは唐からであった。その後宋、元、明清はずっと、特に政府の文書の典籍にそのまま用いられた。『康熙字典』[7]にはただ「箸」の字だけを収録したが、民間は決して「箸」の呼び方を承認しなかった。

しかも、歴史の発展は決して統治者の意志に左右されるものではない。「箸」と「住」、「蛀」が近似音なので、江南の水郷の船頭の漁民は特に避ける。「住」と「蛀」は船が止まって、商売がうまくいかないと言う意味からである。更に船の「虫に食われる」も恐れて、だから明朝後期(1644年後)「箸」を「快」に直す。それから、その製作の材料の竹から、「筷」と称して、呼ぶのは口から出任せにめでたくて、民間で流行ってい来るだけではなくて、士大夫も「筷」と呼んだ。

3世紀に書かれた『魏志倭人伝』中で「倭人は手食する」と日本人は箸を使っていなかったような記載がある。日本の箸はいつ、何の地に起源して、まだ確証がなくて、しかし2種類の言い方がある。一説は遣隋使小野妹子が中国から日本へ持ち帰ったという。もう一つは天皇の即位の式典の大尝祭から起源したという。その時、プライヤーの形のような青竹で作った箸を使って、神の酒肴の側に置いて、「御箸」と称する。

しかし、何人かの日本の学者は、日本が太古時代からすでに箸を使ったと思っている。岡田哲の『食の文化を知る事典』でも神崎宣武の『日本人は何を食べてきたか』でも、日本人の最初に使った箸が2本で、1本ではないと述べた。あの時、人々が竹・木を削った薄片で、プライヤー形に折れてあるいはU字形を曲げてはさんで食物を取った。これは人類が鳥類の食物探し方から啓発を受けたのである。神仏を祭る時依然としてU形の竹をつかう。

日本列島の北端の土着民族、日本の唯一の少数民族のアイヌ族も、神に酒を供えるとき、きれいに飾った平らの箸を使う。。これらの資料から、人類の生活様式はきわめて簡単な年代では、人々は恐らく木の枝、竹の枝を真っ二つにして、その両端で挟んで食物を取ったと推測できる。特に火種が現れてから、熱い食物をつかむようにプライヤー形の箸を使って、これはおそらく箸の原型である。

要するに、日本は大体奈良時代(710―748)から箸を使った。先に宮廷の中で使うので、平安時代(794―1192)後普通の家庭まで普及した。その時「唐箸」[8]と称され、これも日本の箸が中国から影響を受けたことが説明できる。

2。2中日両国での箸の正しい使い方

前節では、中国と日本の箸の歴史について簡単に概説した。中国も日本も箸を使って食事をする国であるが、正しい箸の使い方はどうなのか?本節では、中国と日本の箸の使い方を検討したいと思う。

食事をするとき、ただ一人で食べることもあるが、もっと多い時は家族あるいは同僚と一緒に食事をとるのである。この時、人目を引いたのは食事の以外は食器である。そのため正しく箸を使うのがきわめて重要である。スープを飲むこと箸を使うので、日本はいま世界で箸を使う頻度が最高な国家である。どのように正しく箸を使うのか?中国と日本の箸の持ち方は似ているので、日本箸の研究家一色八郎の『日本人はなぜ箸を使うか』を参照した。

箸の取り方と置き方を説明する。右手の親指、人差し指、中指を使って、箸の中央を持ち上げ、胸の前まで持っている。左手を箸の下側に添えて受け、右手を箸の右に沿って右方向へすべらせる。右手を箸の下を持つように返して持ち直してから、左手を離すことである。文献综述 关于中日筷子禁忌的对比研究(3):http://www.youerw.com/riyu/lunwen_177211.html

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